1981年7月29日、20歳の時にチャールズ王太子とロンドンのセントポール大聖堂で結婚。1982年に長男ウィリアム・アーサー・フィリップ・ルイス、1984年に次男ヘンリー・チャールズ・アルバート・デーヴィッドが生まれる。
だが、チャールズは、結婚前から続いていたカミラとの交際をやめず、この秘密の交際にダイアナは早くから気付いていた。このため、彼女は過食症の摂食障害を起こすようになった。世界中のマスコミがプリンセス・ダイアナを追いかけていたが、本人自身は不幸の真っ只中にあったのである。
やがてチャールズとカミラの交際は世間に知れ渡り、ダイアナも腹いせに王室職員やさまざまな男性と付き合うようになった。夫婦は1992年12月9日別居、1996年8月28日正式離婚した。
ダイアナはプリンセス・オヴ・ウェールズ(ウェールズ公妃)を引き続き名乗ることと、ケンジントン宮殿の居住を認められ対人地雷廃止運動やエイズ啓発活動などにかかわっていった。
1997年8月31日、フランスの首都パリでパパラッチに追跡された果てに、乗車したパリのリッツ・ホテルのメルセデスベンツS280のハイヤーが交通事故を起こし急逝した。36歳だった。彼女の遺体をフランスまで引き取りに行ったのは、かつての夫チャールズだった。
彼女の急死のニュースは世界中のマスメディアがただち各国に配信、世界中が驚愕することとなった。訃報が知れわたった翌日9月1日には彼女の居住していたケンジントン宮殿の門前にはたくさんの人々が訪れ献花や死を悼むカードがささげられた。また、各国の英国大使館には記帳台が設置された。
事故の際、ダイアナの運転手は抗うつ薬を飲んでいた上、相当量の飲酒もしていたとされていた。しかし直前に撮影された映像では、運転手が特に酩酊している様子がないことから、服薬と飲酒の程度については疑問が残っており、非常に高速で走行した末、道路側壁に激突したという事実を除いて、事故の原因については今なお不明である。
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